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【感想】『ユニコーン企業のひみつ』:Spotifyの秘密をチラ見しよう

READY PLAYER ONE?

 あの有名な『アジャイルサムライ』の著者のジョナサン・ラスマセンさんがしばらくSpotifyで働いていた時のことを記した、ユニコーン企業のソフトウェアづくりと働き方を解説した本。2021年4月に刊行されエンジニア界隈でも割と話題になりました。オライリーの2022カレンダーと一緒に年末に買って積読になっていたので、今更ですが読みました。

 原著タイトルは『Competing with Unicorns』なので、もうアジャイルをやっているような欧米の企業でもユニコーン企業を脅威と捉えているのが伺えます。

1章 スタートアップはどこが違うのか

 ユニコーン企業とは評価額1億ドル以上かつ未上場の場合を指すと書いてあるページもありますが、創業10年以内で評価額10億と定義する場合もあるそうです。スタートアップ企業は火星から来たかのような異次元の存在で、プロダクトの売り上げが企業の生死そのもの。学習する機械と化して自らを変えつつ、大きい権限を与えられて各自が独自に動けて期待に応じていく...とその本質を語った章。

 いっぽうエンタープライズ企業は金星から来たというメタファーがあって、この対比がワイの会社にけっこう当てはまっていて辛い...(笑)
 でも後書きに書いてありますが本書で「エンタープライズ」と称されて対比されているアメリカの企業はお馴染み時代遅れのウォーターフォールがどうのこうのではなく、もうアジャイルを採用している企業群なんですよね。
 IBMのPCの誕生秘話、Appleの有名なThink Differentの話など四方山話も面白いです。

2章 ミッションで目的を与える

 従来型のプロジェクトは間違ったところにフォーカスしていて、無駄も大きい。一方抽象度が高めの「ミッション」は仕事そのものにフォーカスしていて、各自が自由に動けて権限も高く、ハードな目標でも達成できてしまう...というお話。

 3章で出てくるのですが開発チームの事を「スクワッド」と呼んでいて、例に出てくるスクワッドが映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が懐かしい「デロリアン」という名前になっていて楽しそうです。
 予算もなし、スケジュールもなし、メンバーが自由にできて楽しそうです。でもこのデロリアンスクワッドの「車の中の音楽体験を最高にする」なんてミッション、よく考えるとかなり高難易度な気がする...!

3章 スクワッドに権限を与える

 だいたい8名以下で構成される「スクワッド」の話。職能横断、全て自分たちで手を動かせる人たちで構成され、自律し、自分たちでプロダクトをメンテ、優先順位をつけて開発、リリースもどんどんやる。プロジェクトマネージャーとスクラムマスターはいない。(!) プロダクトマネージャーと数学に明るいデータサイエンティストはいる...

 と、様々な文脈でよく語られる権限移譲された自主自律型の小数精鋭のチームでやっているのが分かります。プロマネがいないんですね...!
 Spotifyもかつてはモノリシックなアーキテクチャだったが今は分割して、スクワッドごとに他に影響を及ぼすことなくリリースできるそうです。マイクロサービスアーキテクチャと明言はされていないし実際そう単純な話でもないと思いますが、分割は設計の重要な要素ですね。
 さぞかし優秀なメンバーで結成されたスクワッドなんだろうと思いますが、メンバーをうまく分配したり割り振ったりするのも大変そうだなと思いました。

4章 トライブでスケールさせる

 人数が増えてきたらどうするか。それぞれミッションを抱えているのが前章の「スクワッド」。
 それぞれ似たミッションを持つスクワッド、あるいは同じ業務ドメイン内のスクワッドのようなものをまとめたものが「トライブ」で40~150人。
 ひとつのトライブ内でWebエンジニアとかテスターとか同じ専門性を持つ人の集まりが「チャプター」。
 複数トライブをまたいでも良く、ある専門分野に興味を持った人たちの緩い集まりが「ギルド」。トライブ再編成の時は各自にどこに行きたいか自主的に希望を募り、一日かけて再編成したりしている。

 スクワッドが冒険者パーティ、トライブが複数パーティー連合で同じミッションに挑んでレイドボスを倒すための大きな集まり、チャプターがその集まりの中の各パーティーごとの魔法使い連盟、ギルドが別ミッションに挑戦中の他の集まりも含めた中でお互いに連絡を取り合ったり勉強会を開いている「無詠唱魔術を極めたい会」みたいな感じかと理解しました。(RPG脳乙...
 流動的な組織の中でそれぞれ役割やミッション対象を変えながら、柔軟に対応し続けているわけですね。いやはやどんな光景なのでしょうか。コラムでFacebookでも入社後は即配属ではなく、しばらく幾つかのチームを回ることになっている話が紹介されています。

5章 ベットで方向を揃える

 会社として取り組みたいものを「カンパニーベット」として定め、優先順位を定めて2番目以降は捨てて、一番重要なものに強くフォーカスして順々に対処していく。ベットは同時に2つはやらないほうが良い。
 従来型企業だと話題にならないような「反直感的ベット」というワード。Spotifyは2006年ごろに「違法コピーよりも便利に」という言葉を掲げた。これは反直感的だったが、このベットに掛けた結果、音楽の世界で大いに成功した。

 反直感的ベットの例としてNetflixAirbnbTwitterStarbucksが載っているのですが、言われてみると確かに...と思います。

6章 テック企業で働くということ

 職場はフラットな組織構造で、マネジメント層のメンバーは指示はせず自分で見つけて自分でやることが推奨。開発速度を増すためならお金は潤沢に使えて、互いを信頼。基本的に全情報が開示されていて、互いを手伝う風土ができている。これらの実現が、強力なプロダクト推進の力になる。

 対比となる従来型企業での例が、日本でもありそうなシチュエーションで分かる...となります。コラムで秘密主義のAppleも最近はある程度オープンになりつつあるという話も載っています。

7章 生産性向上に投資する

「プロダクティビティスクワッド」という専門のチームを結成してCI/CDの高速化を図ったり生産性全体に対処。面倒な手続きでなく自分で物を買える仕組み。年2回、1週間開催される「ハックウィーク」で好きなものを作る。元エンジニアの技術を知る人がプロダクトオーナーに。品質への意識は高く。社内でもOSSを公開し、誰でも修正できる。
 あらゆるレベルでの改善を続ける。「フィーチャーフラグ」で新機能のON・OFFを切り替えられ、毎週とか定期的に出来上がった機能は自動的にリリースされる「リリーストレイン」。そして技術を「一級市民」として重要視し効果的に使う。これらすべてが生産性への向上になるよというお話。

 フィーチャーフラグの説明で疑似コードが書いてあるのですが、if文の条件がかっこなし、分岐した関数呼び出しの後にセミコロンがついていないスタイルです。これはなんの言語の想定なのだろう?とふと思いました。Go言語なら説明がつきますがSpotifyで使っているという話は特に聞かなかったような...
 コラムに出てくる、手間がかかるけど長期的な視野に基づいた設計変更をみんなが考えていたところをエンタープライズ出身のテックリードが「金メッキ」と評し、短絡的な自分の案を出してきた教訓話が身に染みます...

8章 データから学ぶ

 そのサービスの月ごとの契約数、アプリ内でのユーザーの操作のログ、一時的なデザイン切り替えのA/Bテスト、アンケート...すべてが貴重なデータであり活用することができる。データサイエンティストの出番ですよというお話。

 データサイエンスの領域というとこうしたプロダクト開発とは全然違う分野のイメージもありますが、Spotifyではチームを支援する形で配置されているそうです。

9章 文化によって強くなる

 強力なテック企業、ユニコーン企業にはそれぞれ強い文化があり、企業ごとに違う。Spotifyにもある。Spotify流のチームについての信念、エンジニアリングに関する信念の話。これらがあるから上位層でも人に助けを求めたり、失敗を許容する文化がある。スウェーデン文化との関連の話。これらの強い文化が、テック企業の強力なプロダクトづくりを支えている。

 Spotify流の話も深く語られているし、AppleAmazonなど他社の話もあり、興味深い章です。
 恥ずかしながら知らなかったのですがSpotifyスウェーデン発なんですね。ワンマンなリーダーシップは好まれず話し合いでの合意形成。仲良くすることが大切。多すぎず、少なすぎずの丁度良い生活を表す「ラーゴム」というワード、Spotifyの文化とイコールではないですが昔からの北欧文化の行動規範を表す「ヤンテの掟」の話。
 読んでいて、けっこう日本人の行動様式や精神文化とも近い人々なのかな? と思いました。少なくともアメリカ流とはまた違う感じですね。

10章 レベルを上げる:ゆきてかえりし物語

 まとめの章。金銭ではなく高い目的で従業員を引き付ける。目標が定められたら少数精鋭の権限移譲された自律型のチームで、具体的に何をするか決めてフォーカス。お金はふんだんに、プロジェクトではなくチームに対して使う。技術を重視する。予算や稼働時間埋めをやめてスタートアップらしく振舞う。他社からも学んで、時間をかけて文化を育む。率先行動しメンバーを信頼するリーダーシップ。とにかく権限を与えて互いを信頼する。自分たちが旗を振っているので言い訳が存在しない文化。これらがユニコーン企業の成功に繋がっている。

 最後はまとめの章。誰も知らないような秘密のメソッドがあるわけではなく、とにかく権限を与え、信頼すること。その背景にあるのは育まれてきた企業文化...ということで、新しい企業を興すぐらいでないと既存企業の文化を変えていくのは大変だなあと思いました。
 コラムにはあのスティーブ・ジョブスペプシの人を引き抜いたときの有名な台詞の話も出てきて、テック企業らしさが満ちています。

まとめ:ユニコーン企業の秘密のベールの裏側がチラ見できる本

 訳者あとがきに経緯がまとめてあってまた面白いのですが、本書執筆時点のSpotifyモデルはその後また変わっているそうです。著者のラスマセンさんもその後Spotifyを退職。これはメンバーが自律的に育つようになってアジャイルコーチのやることはもうなくなって円満に辞めたのか、それともその後のSpotifyの変化に何か思う所あったのか..とかとか、つい勘ぐってしまいます。

 お読みの方はみな感じると思いますが本書は物理本の大きさも小さく、中身も200ページ弱、字も大きくてスーッと軽く読めてしまいます。翻訳も島田浩二さん、角谷信太郎さんと安心の面子。『アジャイルサムライ』も“荒ぶる四天王”など独特のゆるい絵が時々添えられていましたが、本書も手書きっぽいこのゆるい絵があちこちに配置してあって面白いです。

 こんな企業文化を持った会社が日本にもどんどん増えたら楽しそうですが...訳者あとがきにもあるように、企業の文化を変えるのは日本だと"手ごわい仕事"でもあるよなあと思いました。あちこちにテック企業やユニコーン企業で使われやすい独特な用語も出てきたりコラムも充実、あちらの世界の様子がわかる刺激に満ちた一冊でした。