- 作者: 伊藤計劃
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/12/08
- メディア: 文庫
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死去した伊藤 計劃氏の2010年代国産SFの文句なしの傑作のひとつ。遅いですが『虐殺器官』に続いて最近読みました。
舞台は虐殺器官で描かれた戦争の数十年後。戦争後の大災厄を乗り越えた先進国各国はもはや政府でなく、生符(ヴァイガメント)と呼ばれる統一勢力に。人類各自が生命を存続させることを至上とする生命主義の時代。人類はみな体内の監視/調整装置をインストールし、体に有害なものは全て取り除かれ、老い以外の病は全て根絶された時代。酒や煙草はもってのほか、プライバシーという言葉の意味も変わり、行過ぎた優しさと幸福が世界を支配する時代。
ディストピア的な未来というと管理された未来が定番テーマですが、こういうユートピアかつディストピア、現実の医療社会の先にもしかしたらあるかもしれない薄気味悪い未来が斬新です。街には柔らかいピンク色の建物、軍の装甲車両もピンク色、皮肉なことに体に有害な前世紀の楽しみである一服を楽しむには、中東などの紛争地域に行くしかない。
『虐殺器官』でも描かれていた、ドライで淡々と描かれた文章の中に、ありえるかもしれない未来のビジョンが浮かんできます。デバイスによる人体の変容は小説や映画やゲームで、サイバーパンクものでよく描かれてきましたが、この小説はそのもっと先をテーマにしているんですね。
主人公は、かつて10代の頃に自殺をもって世界への反抗を示した親友と一緒に死に切れなかった女性。WHO配下の螺旋監察官という職務に付く彼女はこの世界で始まった集団同時自殺事件を追い、自らの過去を追い、そして物語は……人間とは何か、意識とは何か、魂とは何かといった極めて重大でSF的な命題へと進んでいきます。
『虐殺器官』でもそうでしたが、この方は現実に既に存在する技術やガジェットのその先にありえる未来を描くのが上手い。今の科学技術やネット界隈の進化もかなり研究していますね。この世界では拡張現実はオーグと呼ばれ、先進国を歩くと人の横の拡張現実映像には全てのプロファイルが表示され、極限のソーシャル化の向こうに、買うものも食べるものも何もかもがその人向けにカスタマイズされ、もはやお勧めでなく他の選択肢がないレベルで世界から提供されます。
現実世界も人類の知の資産のほぼ9割が遂にデジタル化されたと聞きます。検索でも大抵のことは出てくるようになりました。今後ネットは、ソーシャルな方向に進化していくと言われています。ソーシャル化がどこまでも進み……技術や倫理の課題が全て解決したら……本当にもしかしてもしかしたら、21世紀後半にこんな世界が来るのかもしれない。そう思うと実に考えさせられます。
小説本文も <etml ... という謎のタグめいた言葉で始まり、この世界では感情も記述できるようになった架空のマークアップ言語で本作が描かれているという設定になっています。作中でも時々リストが出てきたり動画や音声がタグで埋め込まれている記述が出てきます。
現実世界でHTMLやXMLを学んだことのある方なら、にやりとできる所でしょう。これもただの未来風の味付けに見えるのですが……最後の最後でなぜこのETML言語を使っているのかが分かる。一人称で書かれている理由も最後の最後で分かる。なぜこの小説のタイトルが『ハーモニー』なのかも最後に分かる。うーんなるほどやられたという感じでした。ザッツSF、センスオブワンダーです。
文庫版は白一色ですが単行本は表紙に女の子が書いてあるようで、主人公も女性、序盤も少女時代の仲良し三人組が出てきて一見ラノベ風にも見えますが、中身は本格的なSFです。まあ書きたいこと、書きたいあらすじがあってそこに登場人物が付随する小説なのでキャラの魅力で読ませる小説とは根本的にタイプが違う訳ですが、文章に難解なところはなくすらすらと読めます。
ちなみに主人公たちの名前が日本人だけどトァンとかミァハとかキアンとかヌァザとか、非常に独特なんですね。読んでいる間も何となくそうじゃないかな……と思っていましたが、やっぱりケルト神話のネーミングでした。(癒しの神ディアン・ケヒトとその周辺の言葉を散りばめて作品のテーマと結びつけているんですね。)
返す返すも惜しい人を亡くしたものです。『虐殺器官』を読んだ時にも、作中に散りばめられた多数のエレメントから、ああこの方はきっと僕と同じ頃にスナッチャーに感動したりメタルギアを遊んだり、同じ頃に同じ映画を見たり、同じ頃に同じことを学んだりしたんだろうなあ……と年が近いので親近感を覚えました。生きていれば2010年代の日本のSFを引っ張る一人だったでしょう。ご冥福をお祈りします。
- 作者: 伊藤計劃
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- 作者: 伊藤計劃
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