Rのつく財団入り口

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主席司祭と助祭

 礼拝堂には静謐な空気が満ちていた。災厄前のキリスト教の時代から続く十字架、はるかな高みのステンドグラスに描かれた救世母の抽象画。
「ああ……氷の元よりいでし、天に昇りし我らが主よ、慈悲深き救世母様よ。そのお導きにより感謝します。その氷の加護に感謝します。天の啓示が指し示した天の幻視の書の秘密、真実は我が元にあります。この大いなる遠征、必ずや私が果たしましょう――」
 満足そうに祈りを捧げているのは、高級そうな白い司祭服に身を包んだ司祭であった。通常の司祭服よりも装飾が多いその服は、ニューロエイジの一般的な教会でよく見かける司祭よりも位階が上の、主席司祭であることを示している。髪は薄い金、その顔には労苦をものともせず勤勉に神に仕えるもの特有の険が刻まれている。ショールに描かれた十字架も、胸から下げられた十字架も、かつてのギリシャ十字のような等辺。そして45度傾けられている。救世母に仕える聖なる同胞は数あれど、斜め十字を掲げる同胞団はただひとつ。

「ベネディクト主席司祭様! 今度の聖務、決まりました!」
 明るい声と共に礼拝堂に飛び込んできたのは、まだ若いハイティーンの少女だった。司祭と同じ白が基調の服……とはいえ、教会の衣装ではない。白が基調の丈の短いワンピース、やはり縫い取られた十字の印。すらりとした足を包む膝上までのニーソックスは、短めのワンピースからちらりと覗く太腿をより強調している。髪は黒、短めのツーテールを結ぶリボンもやはり白。どこか猫めいた雰囲気のある活発な美少女だった。
「おや、シスター・ミミ。そうですか、それが転入するトーキョーN◎VAの学校の制服ですか。よく似合っていますよ」
 ベネディクトと呼ばれた司祭は教え子を見るように目を細めた。
「うん。これで、きっと誰もボクが異端改宗局のエージェントだなんて思わないよ。これで聖務を果たして、救世母さまの名を汚す異教徒を見つけたら、みんな成敗してきます。ボクの“カイロスの騒乱”の名を轟かせてやるんだ!」
 少女の熱を帯びた瞳はどこか狂信的な輝きを帯びていた。まだ見ぬ異郷での学園生活に期待を寄せるうら若き乙女の言葉……にしては、ずいぶんと物騒である。ところが、主席司祭はたしなめるどころか頷くばかりであった。
「然り、然り。主はこう仰いました。汝、異教徒に寛大であれと。裏を返せば、改宗の意志を持たぬ異教徒、神に立ち返る回心の心を持たぬ異教徒には断固として剣を取るべし、との主の深遠なお言葉が隠されています。
 シスター・ミミ。あの“カンパニー”という企業の作戦チームは、神秘の世界に詳しい異能力者としてあなたを直々に大抜擢したのです。この栄誉、十字軍遠征に選ばれた騎士に同じ。神の戦に加わる栄光を胸に、あなたの道をお進みなさい。救世母様の恵みにより、あなたと巡り会えてよかった」
 多くを教えた大切な教え子を、万感の想いで卒業式で送り出す先生といった風情である。少女はもったいぶって敬礼すると恩師に応えた。
「はい! 赤道に現れたあの浮遊大陸バビロン、アヤカシの巣だって噂があるんです。もしもそうだったら、異教徒みんなデストロイして爆発させてきます!
 そうそう聞いてくださいよベネディクト様。打ち合わせで会ってきたんです。傭兵部隊の隊長は……う〜んいまいちボクのタイプのイケメンじゃなかったけど面白いお兄さんで、そいでカンパニーの指揮官が女の人なの! あのローザさんて人、スタイルよくて赤毛のすっごい美人でなんか謎めいてて、とにかくかっこいいの! ボク、なんだか楽しくなってきちゃいました」
 ほとんど修学旅行にはしゃぐ女学生のようである。首席司祭は咳払いすると、頭の中身が残念な美少女をたしなめた。
「主はこう仰いました。汝、油断するなかれと。異教徒はどこに隠れているか分かりません。聖職者の本来の使命を忘れてはいけませんよ。
 あの“カンパニー”の皆さんは我が真教教会に多額の寄付をくださいました。彼らに救世母様の恵みあらんことを、エイメン。慈悲には慈悲をもって応えねば。あなたの異能力は期待されているのです。その使命を果たしなさい。
 そうそう、異能力といえば。シスター・ミミ。我ら聖母殿には六統十二元、様々な元力使いがいます。その中でもあなたのような時間使いは極めて貴重なことは分かっていますね」
「は、はい……?」
 続く小言の予感に、少女の顔色が変わった。

「教区婦長より報告がありました。異教徒を滅ぼす聖務にある時や訓練にある時ではなく、自由時間に……シスター・ミミ、あなたは時々、その時間凍結能力を使っているそうではないですか。深夜に、時間の波動曲線の乱れが生じていると聞きます。あなたが例の“芸術活動”をしている時間ですね」
 ミミ・モルティエは、ぎく、と凍りついた。
「ゆ、許してください回心卿様! あ、あれはイベントの〆切にどうしても間に合わなくてやったんです。ボクが原稿を落としたら本の完成に関わるから……ほ、ほら、ボク、ネト充のこっち側に、ボクの漫画を楽しみにしてくれてるファンが沢山いるんです! みんなの期待を裏切る訳にはいかないし……。一生のお願いです禁止しないでください!」
 日本人なら土下座せんばかりの勢いで突然謝り始めた少女をなだめると、主席司祭は静かに続けた。
「シスター・ミミ、別にあなたの芸術活動を禁じているわけではありませんよ。救世母様から授かった力を、みだりに使うなと言っているだけです。学び舎の宿題と同じ、最初から予定を立て、きちんと時間を管理して作業すればよいことでしょう。これこそ真の時間管理というもの。
 救世母様はむしろ芸術や創造の心を推奨しておられます。この地上にありて神の国により近付くべく、心を豊かにするのは大切なことですからね」
 少女はほっと胸をなでおろした。
「よ、よかったぁ……。あれ、もうボクのもうひとつのライフワークなんです。創った時の達成感とか、こっち側のみんなで集まってワイワイする時のあの充実感ていうか、もう腐の心がみんなでひとつになるっていうか……あ、あー、こっちの話です」
 聞いているのかいないのか、主席司祭は続けた。
「神の創り給うたこの完璧な世界は時として、完璧なる偶然で美しい調和を導きます。
 面白いですね、カイロスの使い手。あなたがよく話している例の……トーキョーN◎VA国際見本市ですか、年に2回大きな催しが行われるその例の場所。その筋では“聖地巡礼”と呼ばれているそうではありませんか。“遠征”なる言葉もよく使われていると聞きます。敬虔なる真教徒が雪の中を歩き、救世母さまの懐に至る旅もまた聖地巡礼
 興味深い一致ですね。あなたたちのような若人が熱心に行っているその芸術活動も、揺るぎなく強烈な信仰心に似た何かを宿しているのかもしれません。実に興味深い。主の恵みのあらんことを。ずいぶんと盛り上がった催しのようですね」
 ある種の芸術活動でたびたび聖地巡礼も遠征もしているクリエイターは、表情を強張らせた。
「ベネディクト様……ま、まさか、聖地にいらっしゃったり……していませんよ…ね……?」
「ええ、残念ながらまだ」 主席司祭は首を振った。
「神の僕には雑事が多いもので。代わりにウェブから電子書籍で買い求めてみました。聡明なるドニ聖下が在位中、既にウェブ上の真教教典に聖性を認めておられます。なればあなたたちが盛り上がっているその同人誌とやらも、電子データの形においても聖性に相当する何か、強力なエネルギーを内に宿していることでしょう」
「え、電子書籍で……」
 その筋では一部で名を馳せている同人作家は、顔色を失った。
「あの『聖母様がみてる』という漫画、作者はあなたでしょう、シスター・ミミ」
 主席司祭はそっと微笑んだ。「作中の学園の教会建築、モデルはどう見ても真教教会ですね。願わくば神の真善美をより強調すれば主の御心により添えると被うのですが……察するにあなたは背景より主人公の女の子たちを描きたい様子。まあ感想コメントもずいぶん付いているようですし、私がとやかく言う筋ではありません。自由に描けばよいでしょう」
「司祭様、ボクの作品見ちゃった、いや、ご覧になったんですか?! あ、あれはそのソフトな方だから、その……」
「ふむ、ソフト」 シスター・ミミとは違う一般世界にいるベネディクト司祭は、首をかしげた。
「百合は数多くの真教聖人の物語に登場する美しい花です。あなたの漫画の枠飾りに出てくる百合も美しかったですよ」
「ベネディクト様! もうこれからは〆切前の徹夜を時間凍結するのはやめます。反省して悔い改めます。まだ間に合います。そ、そこで引き返してください!」
 突然お願いをしだす少女を、敬虔なる神の使徒は理解できないように眺めた。
「自らの教え子が創造した芸術作品を私が見ては何か問題がありますか、神の子よ? 救世母様の導きに従い、もうひとつ漫画を読んでみましたよ。カイロスの……そう、『カイロスは僕の名を知っている』でしたね。なんというか、その、あなたの夢が詰まっていますね」
 その作者は、時間を止められたように硬直した。
「主人公の設定量といい、並々ならぬ熱情を感じます。ずいぶんと登場人物が器量の良い男性ばかりに傾いていますね。どことなく我ら聖母殿のエージェントを連想させます。それに作中の悪しき異教徒、生ける死者は出てこないのに“腐る”とは、どのような深遠な意味が隠されているのでしょう?」
 作者は口をぱくぱくさせて声にならない弁解の声を上げた。さながら沈黙の魔法に封じ込められた魔法使いのようである。
「それに、シスター・ミミ」敬虔なる真教司祭は眉をひそめた。
「主は姦淫を禁じておられます。私には計り知れぬあなたのような年齢の娘の考えることに……乙女の夢想に口は挟みませんが……その……なんというか……男同士があのような形で触れ合い交わるなど……」
「あーストップ! スト〜ップ! だめダメだめ! 司祭様、あ、ああああれ全部妄想なんです! いわば妄想乙なんです! ゆとり乙の中二設定乙なんです! もうそこで全部忘れて引き返しちゃってください!分からなくていいんです! むしろ司祭様が分かっちゃダメなんです! BLはファンタジーなんです!!」


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 異教徒でなく自分が爆発して叫び始め、手足を振り回して騒ぐ少女を宥めるのにしばらく掛かり、何事かと礼拝堂に人が集まってくる有様であった。
 少女は肩で息をつき、ようやく落ち着くと弁解の言葉を口にした。
「はあ、はあ……。す、すみません主席司祭様。ここでそんな話になるなんて思わなくて……ボクつい取り乱しちゃいました……」
「いえ、こちらも詫びましょう、神の子よ。確かに救世母様の前では不適切な話題であり、私が立ち入るべきでない個人の領域でした。その話はともかくとして、」
 咳払いすると、断罪卿ヨーゼフの信も篤い回心卿ベネディクトは弟子に向き直った。
「あなたとはここでしばらくお別れになります。あなたの光の道をお往きなさい、シスター・ミミ。忘れることなかれ。聖母に仕える我が同胞団は数あれど、聖アンデレ十字のサルタイアーを、まことの聖務を指し示すこの斜め十字を紋章として頂くのは、我ら異端改宗局ただひとつ。いついかなる時もこの十字が我らを異教徒から守ってくれます。神の道を歩みなさい」
 その真摯な口調に、少女は並ならぬものを悟った。
「え……主席司祭様も、どこか遠いところに行かれるのですか?」
「ええ。あなたにはあなたの聖務があるように、私には私の聖務があります。人はみな、地にありて自らの星を求めるもの。あなたにはあなたの星、私には私の星が。私は大いなる遠征に出かけてきます」
 おお、と若いシスターは師匠を見上げた。
「時は満ちました。能のない秘跡管理局が宝物庫にしまい込んだいかなる宝物よりも強力な、世界を変えうる大いなる秘密。邪悪な異端の聖遺物、夜の星杯への手がかりが今、主の導きによって我が前に示されたのです」
「それって……あの有名な“セレスタイトの杯”ですか? す、すごいですね! 妄想の中に、もとい空想の中にしか存在しないと言われていたのに……」
 シスター・ミミは、夜と魔術の世界で名高く、幾多のグリモアにその名が刻まれた伝説の杯の名を思い出した。
「然り、然り。上古の昔、忌まわしい異教徒のアヤカシの王たちが鍛え、天の星々の力を蓄えたというあの天青石の杯。星杯探索への道は今こそ示されました。“天の幻視の書”に記された正しき同胞の謎は今こそ解けました。
 もうすぐ東方から同盟者がやってきます。東方より来たりしは博士にあらず、そは剣の持ち手なり。正しき同胞は揃い、星杯を隠す秘密の地への道は示されました。正しき夜の旅人こそ我ら。星杯探索者の名を騙る異教徒たちはみな誤りを犯しています。彼らでは決して星杯の元へはたどり着けない。
 いかなる組織にもいかなる神敵にも、この十字軍遠征の邪魔はさせません。星の導きではなく神の導きにより、この探索を成就させましょう。異教徒には回心を、回心の余地のない邪悪には断罪を。星杯探索成就の暁には、かの“セレスタイトの杯”の伝説の力をもって、主の御世創生のお力添えをする所存です。
 シスター・ミミ。もしも、もしも、私が主の御心に添えないならば、私は探索の途上に果てるかもしれない。異教徒の刃の前に斃れ、これが今生の別れになるかもしれない。
 ですからシスター・ミミ。今日はお別れを言いに来ました。あなたはもう自由です。あなたの道を進み、あなたの星をお探しなさい」
「そんな、お別れだなんて……。やだなあ、司祭様に限ってそんなことありませんよ」
 ここに来て真面目な話をする師の前で感極まったのか、少女は目頭を押さえると、師の両手を取った。
「ボクも頑張って、異教徒デストロイしてきます。ベネディクト様もお気をつけて!」
「ええ、シスター・ミミ。新聖母ミュー様の名において。あなたの旅路に光あれ」
 美しい礼拝堂には静謐な空気が満ち、色とりどりの硝子に彩られた救世母が、師弟の姿を見下ろしていた。



トーキョーN◎VA The Detonation
アステールの宝珠
セレスタイトの杯 -夜の旅人たち-


なんじもまた、星の探し手たらんことを。