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降伏の儀式 -Scene of Astraia-

 無音の空、瞬かぬ星々。漆黒の宇宙を地球から遥か38万km、月の周回軌道付近を進む5隻からなる宇宙艦隊があった。
 編隊を組む4隻の戦闘駆逐艦。その先頭を進む特務専用艦は大きさは幾分小さいものだった。黒い船体の穂先には、日本国に古来より伝わる漢字で堂々と、「極光」の二文字が描かれている。
 大きさこそ戦闘駆逐艦に劣るものの、その中身は人類世界の最高の電子技術の粋を集めた軌道海兵隊の特種用途用特別艦。
 グランドクロス事件を始め、人類世界のあらゆる危険地域に強行降下を行ってはニューロエイジの数々の危機を救ってきた、あの汎用強襲揚陸艦“極光”である。

 完璧なステルス性を備えた極光は、母なる大地より遠く離れたこの真空の空で苦境に立たされていた。
【警告。本艦はアンノウンによる電子戦攻撃を受けています。直ちに対応を開始してください。敵対勢力不明。危険度、特種A。繰り返します。警告。本艦はアンノウンによ……】
「自動迎撃機能が妨害されただと? 直ちに非常用の自律型防壁を展開しろ!」
「駄目です。展開が間に合いません! 航法AIへのウィルス侵蝕、始まりました。侵蝕率20……30……50%……なんて速さなの?」
 非常事態に備え訓練を受けている女性オペレーターでさえ、その声は悲鳴に近かった。艦橋は赤い警告ランプの色に染まり、艦全体が騒然としている。空中に浮かび上がったホログラフィの情報スクリーンが、艦の運行の中枢を司る航法機能が完全に汚染されたことを無情に告げた。
「荷電粒子砲の制御トロンもまったく同時の攻撃を受けている。自己変動型の攻勢ウィルスだ……だめだ、歯が立たない!」
「こっちもだ。格納庫より通信。本艦搭載の70機の宇宙戦闘機全機が完全に同時に攻撃されている。どういう事だ……この艦の全トロンが同時に攻撃を受けているのか?」
駆逐艦弐番機、参番機より救援信号。まったく同じ攻撃を受けています!」
「むぅ……万事休すか……」
 艦長席に座る見事な禿頭の艦長は未だ動かず、そう呟くだけで事態の趨勢を見守っていた。


 電脳空間のトーキョーN◎VAリージョンで目撃された星の乙女アストライアの幻像に端を発した事件は広がりを見せ、超AI、あるいは超兵器との未確認情報を元に複数勢力が密かに動いていた。北米連合空軍の特殊部隊先遣隊。電脳界の雄たるテラウェアと密かに結託したフジタ・サイバーガード・コンサルティング合同のAI捕獲部隊。軌道勢力と思わしき少数精鋭のユニット。民間人でも動いている要員たちがあった。
 そして……情報の信憑性は乏しいながら、軌道上の未知の超兵器であった最悪の可能性を考え、軌道要塞アマテラスを本拠とする軌道海兵隊が今こうして出動したのであった。


「この艦の重要トロンは自己変動型の五重の防壁を備えているぞ。これを破ったのか? ありえないぞ?」
「メインエンジン、攻撃に耐え切れません。フェールセーフによる自動停止、始まります!」
 その時、宇宙では起こるはずのない地震のように、ブリッジが揺らいだ。ベルトで体を固定していなかった乗組員たちがバランスを崩し、何人かが無重力状態の中で機器に衝突する。
「弐番艦、本艦と衝突! 完全にコントロールを失っています。肆番艦、伍番艦からもメイデイ信号受信!」
「サブシステムへの処理委譲、間に合いません。駄目です。本艦を完全にドミネートされます!」
 若い兵士の一人が、たまらず声を上げた。
「そんな馬鹿な……この極光が、こんな簡単に……?」
「全トロン、緊急停止します!」


 女性オペレーターの悲痛な声と共に、すべての光が停止した。地上世界で巨大アーコロジーの全電力供給が突然途絶えたように、突然暗黒の夜が訪れたように。
 今なお謎に包まれた日本本国。だが、その戦力のすべてが、赤道直下の災厄の街で伝説として恐れられる零式やタケミカヅチ式のような血も涙もない戦闘フルボーグではない。
 他のニューロエイジ国家の軍や企業軍と同じように生身の兵士たちがその中にはおり、同じように訓練をし、同じように戦っている。中には家族や仲間のため、故郷のため、そして地球のために戦う兵士たちもいた。静止軌道上の軌道衛星アマテラスを本拠とする軌道海兵隊には、そうした士気の高い兵士たちも多かった。災厄を経てなお青い輝きを失わぬ地球を眼下に見れば、誰しもそんな気持ちになるだろう。
 暗闇の中でその若い兵士たちから、絶望の囁き声が漏れた。光の速度ですら1.3秒掛かる孤独な空。母なる地球からあまりに遠いこの冷たい宇宙で……稼働後に改修を繰り返し、常に世界最高クラスの電子装備と兵器、宙間用装備を備えているこの“極光”は呆気無く機能を停止し……死の船となって宇宙をさ迷い続けるのだろうか?
「これで……終わりなのか?」
「極光と……俺たちはここで……?」


 だがその時、艦長席から立ち上がった男がいる。日本人にしては長身、齢62にしてなお壮健な老練なる艦長。髪の毛が一本もないその禿頭は、暗闇の中でさえ輝いているようであった。
「全員落ち着け! よいか、諸君らは日本国軌道海兵隊員である。軌道海兵隊員はうろたえてはならん。分かるな」
 鉄大和艦長である。見事な髭を蓄えた老人の一喝に、ブリッジの兵士たちは顔を上げた。
「艦長……!」
「そうだ。俺たちは軌道海兵隊だ!」
「軌道海兵隊員は……うろたえないッ!」
 配属されたばかりの若い兵士たちの魂に再び光が灯った時。それと呼応するように、艦内に淡いオレンジ色のランプが灯り、電子設備に再び光が灯った。女性オペレーターが嬉しそうに声を上げる。
「サブ電源稼働。生命維持装置、復活。空気の流れも正常です。極光は、最低限の稼働が可能です!」
 ブリッジ内の兵士たちから安堵と喜びの声が上がる。鉄大和艦長は不敵な笑みを見せると言った。
「よぉし。宇宙の果てで死ぬのは免れそうじゃな。ここは墓地にするには少々寂しい宙域じゃ。全作戦行動を直ちに中止。艦隊全艦、停止状態を維持。状況を調査し報告、負傷者の救出を最優先として当たれ!」
「了解!」
 一旦平常に戻れば、乗組員たちの行動は素早かった。非常時の標準作戦手順に従い、並行した作業が始まる。
「損傷部分、隔壁閉鎖!」
「戦闘駆逐艦弐番艦との通信、復活。向こうでも負傷者が出ているようです……」


★     ★     ★     ★     ★


 復旧作業と救出作業は続き、やがてパトトール艦隊は落ち着きを取り戻した。正体不明の超強力な電子戦攻撃は第二波の兆候なし、威嚇だったのであろうか。そして乗組員たちが後で気付いたように、狙われたのは艦隊のトロン設備だけで……人間が埋め込んでいるトロン、IANUSは一台も狙われていなかった。
 強襲揚陸艦“極光”、そして戦闘駆逐艦弐番機〜伍番機の計5艦からなるパトロール艦隊は甚大な損害を被ったが、不幸中の幸いというべきか、人命は失われていなかった。


 落ち着きを取り戻した“極光”のブリッジ。統合情報スクリーンにデータが並び、オペレーターが驚きを隠せぬ声で告げる。
「攻撃の解析結果、出ます。鉄艦長、見てください。こ、これは……」
「うむ、どうした」
 鉄大和艦長は席を離れ、ホログラフィの方に歩み寄った。副官を始めとする士官たちも集合する。女性オペレーターは驚きを隠せぬまま続けた。
「自己変動型の攻勢ウィルスによる侵入です。電子戦の手法としては地上世界でも見られる標準的なものですが……タイムラグがまったくありません。惑星間ネットワークを介して完全に同時に攻撃が行われています。
 航法AI、荷電粒子砲の制御AI、本艦所有の宇宙戦闘機70機もそれぞれが保有する火器管制トロンや制御AIが全て、同時攻撃を受けています。調理室のドロイドも、掃除用ドロイド内蔵の低級AIまで全て。本艦の人員以外の全てのトロンが、完全並列の同時攻撃を被っています。その数、約5千機。
 あっ、艦長の囲碁の相手のドロイドもです。これで……総計5千1機です」
「むぅ、しばらく囲碁の相手がいなくなるな……。いや、そんな事を言っている場合ではないな」
 鉄大和艦長は咳払いをすると、艦長の威厳を保った。老人の囲碁の強さは軌道海兵隊でも伝説的で、既に艦内の誰もが勝てずにいたのである。
 すると、通信担当兵が振り返って伝えた。
「弐番艦から伍番艦より入電。各艦とも状況は同じです。各艦とも、保有する約5千機のトロンが全て同時攻撃を受けています。このパトロール艦隊で合計すると……約……2万5千機……」
「そんな……2万5千機への同時攻撃……?!」
 ブリッジの誰もが、顔を見合わせて言葉をなくした。宇宙軍の新兵も古参兵も、誰もが初めて遭遇する事態であった。
「誰か、儂に分かるように説明してくれるか」
 腕を組む鉄大和艦長の前に、副官が進み出た。
「艦長。本艦隊が所有する全ての電子装備、合計して約2万5千機のトロンが完全に同時に、極めて高いレベルの並列した電子戦攻撃を受けました」
 副官は冷静に続けた。
「これは――世界最高クラスのスーパーギガトロン2万5千機が、本艦隊を同時に攻撃したのに等しい威力です」


 エニアック、ディ−プ・ブルー、コロンビア、クラーケン、ジャガー、プレアデス、ロードランナー……様々なスーパーコンピュータが、過去にも人類の歴史を彩ってきた。
 国際単位系のギガ、10の9乗にして慣用的な2の30乗をも表すSI接頭辞はこの世界においてそれほど大きい値ではない。20世紀にコンピュータが発明され、人類の保有する情報量は爆発的な増加を辿った。21世紀初頭にはギガの上のテラが現実となり、人類全体の情報量はペタに達している。
 だが、コンピュータがトロンと呼ばれるようになったニューロエイジ世界でも、旧世界からの慣用として、極めて性能の高いスーパートロンにメガやギガの呼称を付ける風習は消えてはいなかった。
 ざわめきがブリッジに満ちていた。多国籍巨大企業の本拠地アーコロジーや軌道コロニー中枢に1機、あるいは国家クラスの集団が1機保有するかしないかのレベルに達するスーパーギガトロン。そのスーパーギガトロン2万5千機が並列稼働したに等しい威力。だがもちろん、ニューロエイジの国家や巨大企業は、2万5千も存在しない。


「超兵器どころではないな。そんなことが、現実的に可能なのかね」
 顔をしかめる鉄大和艦長に、オペレーターは頷いた。
「高級AIに既に試算させています。推論結果……出ました。不可能の確率は99%、小数点以下はシックスナイン。あらゆる国家、企業、法執行機関、軌道勢力、犯罪結社、宗教組織……オメガ・プロジェクトの未確認機込みです。ニューロエイジのあらゆる勢力に、こんなことができるトロンや超AIは、存在しません」
 ブリッジに満ちた沈黙が、その推論から導かれる答えを物語っていた。誰もが黙っている中、冷静な副官が進み出ると、鉄大和艦長に要約する。
「艦長」
 副官の声は静かだった。
「この人類世界に、こんなことができるコンピュータは、一台も存在しません」


 しばらく黙っていた老艦長は、やがて重々しく頷いた。
「相分かった。正体が不明な以上、これ以上の索敵と交戦は危険すぎる。駆逐艦隊、作戦行動を完全中止。本国との通信を引き続き試みよ。損害の大きい艦を援護しつつ、直ちに撤退!」
「了解!」
 ブリッジの要員たちは一斉に敬礼した。航法トロンの再計算と共に各艦のエンジンに火が灯り、再編成して進みだす。強襲揚陸艦”極光”は大きく回頭し、船首方向を地球に向けた。ブリッジの強化クリスタルガラスの窓の向こうに広がる無限の宇宙が、大きく横にそれていく。


「我々を殺すつもりではなかったようだが……この星々の世界には、謎が多すぎる」
 艦長席についた鉄大和艦長は、瞬くこともない星の海を見やりながら呟いた。
 初の宇宙飛行の犠牲となったライカ犬が、猿を始めとする哺乳類が、そして人類が宇宙に踏み出して月に辿りついた20世紀。そして火星まで届かんとした21世紀。その頃に地球は反転してしまい……人類の七割が滅んだ未曾有の災厄が起こってしまった。
 それから幾年。再び蘇った人類は異常発達した科学と共にあった。低軌道上にいくつも存在する多国籍企業や軌道勢力のコロニー。静止軌道上の建造物の代表格である軌道要塞アマテラスと軌道首都ヴァラスキャルヴ。幾つかあるラグランジュ・ポイントと月にもコロニーはある。
 かつて夢であった軌道エレベータも実現し、豪州から空に伸びるカーボンナノチューブのワイヤーの向こうの楽園の泉に、生身の人間が登れるようになった。旧世界では存在しなかった「ハイランダー」という人種も生まれた。
 だが……そこまでだった。探査衛星等を除けば、未だ人類の主な勢力範囲は軌道領域、月軌道や火星軌道に留まっている。軌道領域最強を誇る日本軍軌道海兵隊も、豪州宇宙軍の宇宙戦艦も、その戦力でカバーできる宙域はごく僅かだ。
 宇宙はあまりに広く、人類はあまりに小さい。なにより深宇宙探索は平和な母星が、母なる故郷があってこそ成り立つものだ。
 ニューロエイジの地球は平和とは程遠い。災厄前の旧世界が夢見た理想の未来には程遠く、人類世界は今も争いに満ち満ちている。
 争い合う人類を悲しんで天に昇ったギリシャ神話の女神アストライアの伝説を思い出し、老艦長は言った。
「もしも、本当にそんな大いなる力があるとしたら……心正しき者の手に、渡っていればいいのだが」


 老人の呟きと共に汎用強襲揚陸艦“極光”はロケットエンジンを吹かし、傷ついた艦隊と共に宙域を後にした。
 月周回軌道のラグランジュ・ポイントのひとつに、ある冒険者たちが辿り着いた頃の出来事であった。



Tokyo N◎VA The Detonation


なんじ、心正しき冒険者たらんことを。