Rのつく財団入り口

ITエンジニア界隈で本やイベント、技術系の話などを書いています。

遠桜絶景

 この地上世界に関係社員約10万、東京新星市においてもファイブAクラスのトップ企業として君臨する千早重工のアーコロジーは、それ自体が完結した都市としての機能を備えている。
 重工本社高層部から眺める眼下の風景は絶景だった。品種改良された桜の木が並び、並木道を花びらが舞っている。向かいのビルに刻まれた社章――三つの三角形の集合の上を、桜の色が彩り、風に散っていった。


 その風景がすみやかに消えていった。自動で強化ガラスが曇り始め、絶景をシャットダウン。赤外線/紫外線/動体感知/温度変化/窓の振動を拾う音響の全てのセンサーの侵入をストップする。この時代、外部からの侵入や傍受はどこから来るか分からない。
 同時に入り口の大開きのドアもロック。電脳世界での防壁も完璧に作動。アーコロジー高層部にあるこの会議室は全自動で暗くなると、エグゼクティブたちが居並ぶこの会議の内容を完全に外からシャットアウトする。


 スクリーンの中には、例の千早企業軍基地施設の映像が映っていた。天井には兵器で破壊されたとおぼしき大穴、修理に近づく車両がやけに小さく見える。
「強度ランク5のセキュリティ・チェックを確認。電脳防壁も正常に動作中です。では、早速始めます」
 スクリーンの前に毅然と立つのは君の上司だ。ビジネスジャケットに動きやすいスリムパンツ、武術を修めた人間特有の均整の取れた体つき。日系人女性にしては背の高いほうだが、居並ぶ男性エグゼクの中だとやはり小さく見える。瞳はネイビーブルー、髪もショート。健康的な美貌には社長室付き秘書で培った華やかさに加え、管理職で得た貫禄と落ち着きも加わりつつある。
 千早重工査察部後方処理課課長、早川美沙だ。


「一部の筋から、既に社内に情報が流れている通りです。
 実験中のコアシステム“SELENE02”が強奪されました。現在、すべての手段を使って調査中です」
 既に知られている事実とはいえ、エグゼクたちを再度驚かすには十分だった。それだけ、この事件は重工中枢にクリティカルな影響を及ぼす恐れがあるのだ。
「なんということだ。あのセレーネは技術開発本部の肝入りだぞ!」
「これは本年度の長期計画を見直すべきかもしれんな……」
「ゼロツーが盗まれたか……あの厳重な警備をかいくぐって、しかもたった一機でだと??」
「計画はグレードAの極秘情報だ。一体どこから漏れたのだ? メディアに流れるのも時間の問題だな……」
「一体、敵は誰だ? イワサキか? 裏をついてテラウェアかもしれんな……」


 実験中だった無人ウォーカー用の自律制御コアシステム、“SELENE02”(セレーネ・ゼロツー)。純粋に日系とはいえ千早重工でもアルファベットは使う。エンジニアリングの世界のシステム名では特にだ。古い月の女神を冠したこのシステムは偶然にも、まだ世界が砕け散る前、災厄前の日本が打ち上げた月探査衛星と同じ計画名を持っていた。
 外界からの圧倒的な量の情報を分類/分析/演算し、統合された火器完成と姿勢制御を融合させ、無人でも有人と同程度の運用に近づく。この世界に試験型のAI機は散在するとはいえ、量産化された例はまだない。
 このAI制御の分野で“SELENE02”はまた一歩前進を遂げた。プロジェクトが順調に進めば、重工製の市街戦機“ファルコン”の後継機に搭載される計画だったと聞いている。


 ざわめくエグゼクたちを前に、早川課長の説明は続いた。強奪現場の映像は煙が立ちこめ、ジャミングとセキュリティへの介入が大きい。実行犯の写真は影しか映っていなかった。
 エグゼクの一人が手を上げた。日系人の多い面々の中で珍しい外国人、口元に蓄えた髭が君の目を引いた。
「ああ、経営企画部のミラー=ヤマシタだ。由々しき事態ですな。
 報告では、開発中の“SELENE02”はいまだ不安定部分も大きく、製品としての実用化には一歩至っていないと聞いている。丁度年度も変わり、体制を見直す時だ。今回の事件もあるし計画はここで完全に凍結し、一旦ゼロに戻した方が我が社のためになるでしょう」
 濃い金髪に、どこか危険な色を湛えたオリーブ色の瞳。似合った茶色の高級スーツ。さして肩幅も広くないが、風格は十分で40代ぐらいだろうか。おそらく北米系の血が混ざっているのだろう、災厄前の映画の俳優の誰かに似ているような気がした。
 出自を気にせず優秀な人間は登用するはずの千早重工と言えども、役職クラスは上層部に行けば行くほど、やはり日系人が多いと言われる。この部屋に揃ったお歴々の顔を眺めてもそうだ。日系以外でここまで登り詰めてきたということは、恐らくそれだけ優秀な人間なのだろう。


 君がそんなことを考えていると、口髭の部長は身を乗り出し、君の上司の方を見た。
「ところで早川君。君のところの査察部は、こういう事態が専門のはずだ。君のところは今まで一体、何をしていたのかね」
 鋭い詰問。だが早川美沙は屈せず、滑らかに答えた。
「ミラー=ヤマシタ部長。問題の基地施設の警護は企業軍、および雇用したセキュリティ要員で行っており、私たち査察部の範疇ではありませんでした。
 既に査察部から専任の要員をアサインし、本件の解決に当たらせます。御紹介しましょう。こちらです」
 課長に促されて、君は立った。初めてエグゼク面々より目線が上に立った気がする。思いつくままに軽く自己紹介し、一礼。ざわめいていた会議室の空気に、若干安堵の色が広がった。
「おお、君か……」
「秘密裏に頼むぞ」
「ということは、例の……何といったか、後方処理課かね」
 エグゼクたちの反応は様々だったが、概ね好意的だった。特に問題ないだろう。


「この要員を中心に、直ちに対応を開始します。ご安心ください、ミラー=ヤマシタ部長」
 口髭の部長はしばらく試すような視線で君と早川課長の方を見ていたが、やがて答えた。
「ふむ。ほう、君か。ああ、方法はどうあれ、問題が解決すればそれで構わんよ。
 ああ、そうそう、早川君」
「何でしょう」
 部長は手を軽く上げると言った。
「私のことは、ミラー=ヤマシタでなくヤマシタで構わんよ」
「分かりました、ミラー=ヤマシタ……いえ、ヤマシタ部長」
 君はまだ知らなかったが、この台詞はその部長の口癖だった。


 その後の数分は概ね君には無価値だった。エグゼクたちが互いにこの事件に関係ある事柄と関係ない事柄を言い合い、会議が続く。しばらくすると、一番奥の席でじっと考え事をしていた長身の男性が、穏やかに口を開いた。
 日系人の中ではずば抜けて長身、モスグリーンのスーツ、暗い会議室の中に置いてなお表情を覆い隠すミラーシェード。誰あろう、千早雅之社長本人である。
「とにかく冷静に。各部門が力を合わせ、成すべき事を成して事態を解決してください。頼みますよ、早川さん」
 その言葉を聞いた途端、早川美沙は凛と背筋を正し、力強く答えた。
「はいっ。勿論です。……班長……いえ、社長」
 彼女の後半の小声の呟きは、すぐ隣にいる君にしか聞こえなかった。
 君が千早の影を担う後方処理課に入る前の話だ。かつてメルトダウンと呼ばれていたという社長の、ミラーシェードの奥に隠された狼の瞳。かつて3班の班員であり、その後社長付き秘書として彼の身辺を守ってきた早川課長のネイビーブルーの瞳。二人の視線が絡み合う一瞬、何か言葉以上のものが交わされたように見えたのは、気のせいだろうか?
「私は査察部を信頼しています。貴方にも、結果を期待していますよ」
 社長は君に向かって微笑むと、次の会議があるからと周囲に詫びを入れ、席を立った。エグゼクたちもがやがやと喋りながら、会議室を出て行った。
 ドアが開き、部屋が明るくなった。暗かった窓の外が自動で元に戻り、春の絶景の光が室内に入ってくる。それと同時に、この部屋に満ちていた緊張と抑圧、不安と期待の混じった重苦しい空気も消えていった。


★     ★     ★


 一気に解放的になった大きな部屋で、早川課長は外の絶景を見ながらうーんと伸びをした。信頼できる君しかいないので気を許しているのだろう。
 秘書をするには少々年上になってしまったが、スポーティで裏表のない彼女の健康的な美しさは衰えていなかった。社内にも探すと、密かなファンだという男性社員も多い。とはいえ、課長が定時後に密かに通っているというジムだったか道場だったかの噂話を知ると、そのほとんどは震え上がっていたが。


 そんな課長はきびきびした動作で手早くトロンを操作すると、最新情報を含めたデータクリスタルを渡す。
「事件当時、警備に当たっていた人間のリストよ。容疑者と直接対面したウォーカーパイロットが1人いるいるので、接触して頂戴。強奪事件が起こったのは事実だけど、彼らは悪くないわ。事件の全容解明の方が先ね。
 そうそう、今、実行犯の映像がやっと届いたのだけど……」
 準備を始める君の前で、彼女は立体スクリーンに映像を出した。
 砂の粒子が踊っているように雑だが、基地施設の事件現場の映像だった。おぼろげだが、ウォーカーを伴って侵入した強奪犯が映っている。シルエットからして、着ているのは兵士が隠密作戦用によく着る潜入スーツだろう。首にはマフラー、よく見えないが背中には刀らしきものを背負っている。
「なんだかこの犯人、ずいぶん若く見えるわね? これ、何かのポーズを取ってるのかしら?」
 早川課長はしばらく不思議そうな顔をしていたが、やがて咳払いをした。
「どちらかといえば、実行犯よりもその後ろに何がいるかが重要ね。
 既に、後方処理課2班の電脳チームが中心になって網は張っています。どこかの他企業が入手すれば、その情報は入手できるはず。と考えると……“SELENE02”はまだ誰の手にも渡っていないという推測が妥当ね。私たちにもしばらく猶予はあるということよ」


 その後、任務に関係あること、関係ないことで2、3会話を交わす。ふと思いついた君は、会議中に会ったあのエグゼクのことを聞いてみた。
「ああ、あのおヒゲの部長さんね? オーガスト・ミラー=ヤマシタ部長。経営企画部第一ユニット。社内じゃけっこう有名人よ。かなりのやり手だわ。日系アメリカ人、確か40なん才で……独身ですって」
 彼の詰問のことを話すと、課長は気さくに笑った。気にしていないようだ。
「あの人の立場じゃ、ああ答えるのも無理はないわ。もっとも、私を“早川君”ってくん付けで呼ぶのは、男女差別の疑いありですけどね。社長だって、私のことは“さん”付けにしてくれてるのに」
 秘書室から査察部に栄転、現在の地位にある彼女はふと、窓の外に目をやった。はるかな眼下の公園で桜が咲き誇っている。
「あの人はね、3班の班長だった頃から――メルトダウンだった頃から、ずっとそうだったわ……」
 ガラス越しに映る彼女の瞳は遠くを彷徨っていた。永劫ともいえる数瞬。


 間に困って君が声を掛けようとすると、それより早く、早川美沙は振り向いた。
 頼んでいないのに勝手におほん、と咳払いをすると、彼女は課長の顔に戻った。取り繕うようにことさら真面目な表情になると、君を送り出す。
「気をつけて任務に当たって。内部の情報が漏れているわ。重工内部まで他勢力が侵入しているか……内通者がいるのかもしれない」
 装備を確認し、課長に挨拶。窓の外には絶景が広がっていた。N◎VA市街、アサクサ辺りでもこの桜が見られるだろうか。今夜は美しい夜になりそうだ。

 足音高く、君は廊下を去っていった。
 ――さあ、仕事の時間だ。



東京N◎VA デトネイシヨン

『月下残影』


 月の定めし桜花の夜、約定の時をしばし待たれよ。



あぁるあい財団でりりうむびぶりおていか『月下残影』開演前情報 / 『月下残影』閃光動き絵とれいらぁ